はだかになりたい

秋刀魚か、鯖か、秋鮭か。
台風も無事過ぎ去り、スーパーのお買い物カゴに四角いエコバックを携えて最近の仕事帰りはだいたいそんな問答をしている。

とまれ、この秋にはもうどう転んでも良いと思えるほど満足していて、夕飯の献立だけに鬱々とできるなんて、総合的にとても幸せってことだよなあ。
先日、オーストラリアに住む友人が遊びにきてくれたので老舗鰻店のカウンターに肩をならべてウナギを食しながら、最近どう、そっちはどうっていう主なやり取りで数時間、山の上のケーキ屋へ、駅前のカフェへと移動してもお互いしゃべりまくって私がたっくさんの忘れすぎた思い出のなかからいくつか、友人の記憶しているものを分けてもらったりしていると、離れてお互いに慣れない土地で暮らしていても、私の体に彼女の歴史が(とその逆も)、ちゃんと積もってるんだなってこと思ったりした。新しい土地で生活を始めると、当たり前だけど周囲からじぶんに対する記憶の歴史も、その逆も、全然ないわけでそういう意味では、ぜんぶと「女A」とか「とある人物」として向き合うことになる。「はじめまして」ばかりの日々は、結構くたびれる。私は誰だっけ?、ってふと思ったり。だから、変わってないね〜って言われることとか、変わってないな〜って思うことでも、こんなに安堵できるものなんだなあと。

0440そういえば去年くらいから温泉へ頻繁にいくようになった。ほとんど日帰りなんだけど。
私の温泉へいく最大の悦びはというと、外で(露天)どうどうとはだかで居られる、という点に尽きる。お湯の質も景観もさほどこだわりがなく、入浴というより水浴び。できれば広い露天に腰掛ける岩場がいくつもあるような広々とした場所がいい。そこで女たちが足をくんだり寝そべったりしながら、風に吹かれている図はとても良い。はだかになって、青空や星空や曇り空を仰ぎ風に吹かれていると、遺伝子レベルで身体がよろこんでいる気がする。今度はもう「名前」も歴史も脱いで、「女A」すら脱いで、肉体の存在しかなくなる。ますますいろんな記憶を手放すみたいに、そしてそれがだんだん快感になっていく感じ。

オーストラリアには温泉は本当に稀だし、お風呂さえ節水で入れないと友人が言っていたので、とても気の毒。私は、ああ、温泉行きたい。ああ、はだかになりたいって最近はいつでも思ってるというのに。(裸で街にいるとなんで犯罪になっちゃうんだろうね?)

さりとて私もちゃんと服を着て、名札をつけて、大人らしく経済活動を行い、スーパーで食材も調達し、愛するひとの飯を作って、日々を暮らしている。だいたいのひとは、みんな、だいたいえらいなあ。

gohan